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震災から2週間が経ちました。おとといの23日の朝に大船渡市内の国道45号線を、給水タンク車で浄水場と給水ポイントを往復しているときに撮影したものです。
津波の破壊力の大きさをまざまざと見せ付けれました。市の中心部の商業施設や住宅、走行していた自動車などが、押し寄せた津波により膨大な瓦礫の山と化しています。現在でも他府県からの消防緊急援助隊や自衛隊による行方不明者の検索が行われています。
これらの瓦礫の山の撤去、都市の再生には相当量の労力、年月がかかりそうです。
2011.03.25 / Top↑
ガソリンスタンドの行列
私が支援に入った大船渡を始め今回の被災地では、断水、停電に加えガソリンや灯油の供給が途絶え、深刻なエネルギー不足に陥っています。いつ入荷するか判らないスタンドに燃料缶を持った人が寒空の下長蛇の列を作り、早朝から車が路側にどこまでも連なっています。あるスタンドで300台ぐらいまで数えましたが、切りがなくあまりに気の毒で見ていられませんでした。避難所でも灯油不足で満足に暖房できず、毛布を何枚も重ねても寒くて寝られないといった報道を見ました。
避難所薪割り
そんな中、ある避難所で総出で薪割りしておられたので、聞いてみたところ地域に薪釜の風呂が備蓄してあったそうで、津波で倒壊した家屋の廃材を薪にして風呂を焚いておられ、こんな時に役に立って有り難いとおっしゃっていました。
やはり現代の化石燃料に依存した社会は脆弱で、今回のような大災害でもそうですが、万が一にも中東からの原油がストップすれば、たちまち社会機能が停止してしまいます。電気については原子力が不安を抱える今、水力や風力、太陽光などの自然エネルギー利活用をもっと推進していかなければならない。家庭における燃料も太陽光パネルを屋根に載せて発電するのも良いですが、私のおすすめは、やはり薪などの木質エネルギーの利用です。なんていったって家の周りには手付かずの放置された森林がたくさんあります。労力さえ惜しまなければいくらでもエネルギー源があります。裏山が私にはでっかいガソリンスタンドに見えます。
2011.03.24 / Top↑
S宅前
大船渡での活動も最終日となりました。午前中一杯で3箇所の避難所と2箇所の給水ポイントを給水し終えて、それから帰路に付きました。この5日間に、ほんとは辛くて長い避難生活でイライラもあるはずの被災者の皆さんから、感謝や労いの言葉をたくさん戴いて、私自身たいへん勉強させていただきました。
帰りの行程は、まず、いわて花巻空港に行って交代班を出迎え、活動内容の引継ぎをしました。普段は閑散としているはずの滑走路には災害支援の迷彩色の自衛隊の輸送機やヘリコプターが停まっていたり、トモダチ作戦で物資輸送している馬鹿でかい米軍の輸送機C17も停まってました。
C17
で、そこから飛行機に乗せられました。飛行機嫌いの私は、どんだけ長距離を運転しても陸路で帰りたかったんですが、組織で決まったことだからと願いは聞き入れてもらえず、ブラジル製のE170機の小さな飛行機の中で1時間25分冷や汗かいて生きた心地がしませんでした。

なんとか無事に伊丹に着陸することができて、職場まで帰り着き、多くの皆さんに出迎えていただきました。ちょっと疲れましたが、いい経験をさせていただきありがとうございました。今夜はゆっくりと休みたいと思います。
2011.03.23 / Top↑

給水支援4日目。疲れもピークになって来る頃です。昨日まではうちの2tの給水車で、亀裂が出来てガタガタで両側に瓦礫が山積みになった道を1時間掛けて何度も浄水場との往復をして、各所の避難所や給水ポイントを休憩する間もなく慌ただしく回ってましたが、今日は大阪の堺市が応援に入ってくれて、朝から2t2台と4t1台の3台の給水車の編成で回ったので、余裕をもって避難者の皆さんにもたっぷり給水することができました。明日は私の活動最終日。次の班にしっかり引き継いでいきたいと思います。
写真は大豆沢の給水ポイントの下の西館地区の様子です。
2011.03.22 / Top↑
大船渡にて
2011/03/21 | 雑記


給水支援活動に入って3日目も無事終了。地震発生から10日経って市街地では電気も通り、水道も今日から試験通水が始まりましたが、我々が給水支援に入っている海岸べりの集落では、まだまだ停電断水状態が続いており、いつ復旧するのか見通しも立たないみたいです。リアス式の三陸海岸はどこに行ってもこの様な状況なんでしょう。


小田梅神の給水ポイントのすぐ下の門の浜漁港のメイン通りの写真です。津波の前は賑やかな港町の大通りだったんでしょうね。いち早い復興を願ってます。
2011.03.21 / Top↑